尾高忠明が指揮する都響のA定期は、三善晃と松村禎三の比較的演奏機会の少ない曲をプログラムに組んだので、聴きに行った。1曲目は三善晃の「ノエシス」。演奏時間8分ほどの短い曲だが、激しい表現意欲がみなぎる曲だ。演奏は堂に入ったものだった。
2曲目は松村禎三のピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏は北村朋幹。北村朋幹は並みいる若手ピアニストの中でも先鋭な問題意識で群を抜く存在だ。松村禎三のこの曲も、まさに北村朋幹の演奏で聴いてみたい曲だ。演奏は曲への沈潜と集中力で圧倒的だった。
丘山万里子氏のプログラムノーツによれば、三善晃の「ノエシス」の初演は1978年5月10日で、そのわずか3日後の5月13日に松村禎三のピアノ協奏曲第2番が初演されたという。指揮はともに尾高忠明、オーケストラはともに東京フィル(ピアノ独奏は野島稔)そして場所はともに東京文化会館だった。
なので、尾高忠明は初演者だ。初演に当たっては三善晃や松村禎三から直接示唆を得ていただろう。その記憶が尾高忠明の絶対的な自信につながっているのかもしれない。それでなくとも楽壇の実力者の地位にのぼりつめた尾高忠明が、初演者の自信に裏付けられて、有無を言わせぬ演奏を聴かせた。
その演奏は称賛に値するが、正直に言うと、わたしは少し疲れた。端的に言うと、演奏が生真面目すぎるのだ。自らの生真面目さに酔ったようなところがある。演奏者の思い一色に塗り固められ、遊びがなく、聴き手はそこから逃れられない。
「ノエシス」は上述のとおり短い曲で、展開らしい展開がないので、仕方がないと言えば仕方がないが、ピアノ協奏曲第2番は演奏時間が30分余りあり、ミニマル音楽を思わせるハーモニーの流れがあるので、演奏によってはもっと楽しめる音楽になるはずだ。同じ北村朋幹のピアノ独奏でも、たとえば指揮者が外国人だったら、演奏はもっと違ったものになったのではないかと想像する。
休憩後の3曲目はエルガーの「エニグマ変奏曲」。演奏が始まって、わたしはホッとした。楽に呼吸ができるのだ。こんなことを言うと顰蹙を買うかもしれないが、音楽にはエンタテインメント性も必要なのだと思った。「エニグマ変奏曲」の演奏は客観性をたもち(言い換えれば、「ノエシス」やピアノ協奏曲第2番の演奏のような主観性から脱して)、各変奏を的確に描き分け、余裕を感じさせた。尾高忠明はN響を振るときよりも思い切ってやっていた。都響の反応はN響よりも良かった。言い方を変えれば、尾高忠明のやりたいことがオーケストラから鳴っていた。
(2026.8.8.東京芸術劇場)

