Enoの音楽日記

人生、何があっても、音楽を聴くと、自分を取り戻します。

高関健/東京シティ・フィル

 高関健指揮東京シティ・フィルの定期演奏会。曲目は今年生誕200年のスメタナの「わが祖国」。高関健は常任指揮者就任披露の2015年4月の定期演奏会でもこの曲を取り上げた。ただし今回はチェコ・フィルの「現実演奏版」を使用する。

 「現実演奏版」とは何か。高関健がプログラムに寄せたエッセイによると、「今晩の演奏では、1985年頃当時の音楽企業スプラフォンが出版したチェコ・フィルの伝統的なパート譜に基づく「現実演奏版」を使う。この楽譜はターリヒからアンチェルに続く伝統的な演奏をほぼそのまま楽譜に起こしたもの(以下略)」とのこと。

 ターリヒからアンチェルのころは、スメタナのこの曲にかぎらず、またターリヒやアンチェルにかぎらず、巨匠たちは多少なりとも譜面に手を入れて演奏することがあった。だがそれが出版譜の形で残っているのは珍しい。それを演奏してみよう(聴衆の側からいえば、それを聴いてみよう)というわけだ。

 具体的には、スメタナのスコアの中の「そのままでは厚過ぎる和声に旋律が消されてしまうと思われる個所、テンポが速すぎて演奏困難と思われる部分」などについて、主要声部を補強したり、伴奏形を弾きやすい形に変更したりしているらしい。

 結論からいえば、わたしの耳では、どの箇所で主要声部が補強され、どの部分で伴奏形が変更されているか、聴き分けることはできなかった。だが普段よりも意識して各パートの動きを追ったことは事実だ。高関健の意図からいって、それでいいのだろう。

 一番ショックだったのは、「モルダウ」の最後だったか、音が短く切られる箇所があったことだ。今まで聴いたことのない演奏だった。また「現実演奏版」と関係があるのかどうかは分からないが、ホルンとトランペットが倍管になっていた(ホルンは4本→8本、トランペットは2本→4本)。「ボヘミアの森と草原から」の冒頭のトランペットの豊かな響きと、「ブラニーク」の最後のホルンとトランペットの朗々とした響きにその効果が表れた。

 全体的にはひじょうにテンションが高く熱い演奏だった。むしろ、高関健としては、思いきり派手にやった演奏だったかもしれない。その分、ボヘミア的な情緒は後退した。それを求めるのは、ないものねだりだろう。個別の奏者では、客演コンサートマスターに入った荒井英治が積極的にオーケストラをリードした。その果たした役割は大きい。また「シャールカ」の冒頭で首席クラリネット奏者の山口真由が情感のこもったソロを聴かせた。終演後に高関健のソロ・カーテンコールになったとき、高関健は山口真由をともなって現れ、盛んな拍手を浴びた。
(2024.10.3.東京オペラシティ

ケストナー没後50年(2):「動物会議」


 ケストナーの「動物会議」は絵本だ。だが「飛ぶ教室」などの児童文学と同程度の内容がある。ケストナーの力作のひとつだ。絵は児童文学の第一作「エーミールと探偵たち」以来の盟友ヴァルター・トリアーが描いた。トリアーは「動物会議」刊行の2年後に亡くなった。「動物会議」がケストナーとの最後の仕事になった。

 「動物会議」は1949年に刊行された。まだ第二次世界大戦の傷跡が生々しいころだ。世界には難民があふれ、大量の孤児がいた。都市は荒廃していた。そんな時期なのに世界の首脳たちはまた戦争の準備をしている。その状況に憤ったケストナーが書いた作品が「動物会議」だ。

 どんな話か。世界の首脳たちがケープタウンで会議を開く。87回目だ。延々と会議をしている。結論は出ない。そんな状況に怒った動物の代表たちが動物ビルに集まる。代表たちは世界の首脳たちと対峙する。そして要求を突きつける。だが首脳たちは要求を拒否する。拒否することだけは一致する。他のことは一致しないのに。

 代表たちは実力行使に出る。だが人間のほうが利口だ。あっさり覆される。代表たちは弱気になる。でも諦めずに知恵を絞る。もう一度実力行使に出る。だがうまくいかない。代表たちは何をやってもダメかと思う。そのとき名案が浮かぶ。最後の実力行使に出る。今度は首脳たちも参ってしまう。首脳たちは要求をのむ。首脳たちは代表たちと条約を結ぶ。条約は次の5か条からなる(大意)。

 (1)地球上から国境をなくすこと。(2)もう戦争はしないこと。(3)人を殺すための研究はしないこと。(4)役所は縮小すること。(5)教員が一番高い給料をもらうこと(なぜなら教員は子どもを真の大人に育てるという大事な仕事をしているから)。

 以上が「動物会議」のプロットだ。繰り返すが、「動物会議」の刊行は1949年だ。75年前の作品だが、今の世界にも当てはまる。少しも古びていない。ということは、世界は75年前から変わっていないのだろうか。

 「動物会議」はプロットもおもしろいが、ディテールもおもしろい。たとえば代表たちが動物ビルにチェックインする場面。イルカの部屋は部屋全体に水を張ったプールだ。イルカは「水を40立方メートルもへらしてくれ」という。そのくらいのゆとりがないとジャンプできないからだ。キリンは上下2部屋を取ったが、「下の部屋のてんじょうに、大きな穴をあけてほしい」という。そうしないと首が伸ばせないからだ。ネズミは「部屋はいらないから、ネズミ穴がほしい」という。ケストナーは動物たちを一律に描かずに個性豊かに描く。それが「動物会議」に一貫する描き方だ。

ケストナー没後50年(1):「独裁者の学校」


 今年はドイツの作家エーリヒ・ケストナー(1899‐1974)の没後50年だ。ケストナーは「エーミールと探偵たち」、「飛ぶ教室」、「二人のロッテ」などの児童文学が有名だ。わたしも大ファンだ。だがケストナーの執筆活動は児童文学にかぎらない。今年2月にはケストナーの戯曲「独裁者の学校」の日本語訳が刊行された(酒寄進一訳、岩波文庫↑)。戯曲は珍しい。興味津々読んでみた。

 題名の「独裁者の学校」とは独裁者の替え玉を養成する学校だ。独裁者はすでに死んでいる。独裁勢力は独裁者の死を隠して、独裁者にそっくりな替え玉を仕立てる。独裁体制は続く。その替え玉も暗殺されることがある。だが困らない。替え玉は10人以上も養成されているからだ。

 独裁勢力の一人はいう。「(引用者注:たとえ独裁者が暗殺されても)大統領(=独裁者)はその都度、若返り、厳しくふるまい、より熱く、冷酷になる。それがわれわれの決めたことだ。世間は大統領の望みを先回りしてやるようでなくては。邪魔をする愚か者には災いあれ、だ!」(34頁)と。

 独裁者は暗殺されても、「その都度、若返り(中略)冷酷になる」とはゾッとするが、独裁体制の本質をついているのだろう。独裁体制とはシステムだ――それがナチス・ドイツを生きたケストナーの見た独裁体制の本質だろう。加えて、後段の「世間は大統領の望みを先回りしてやるようでなくては」というくだりは、少なくとも「世間」を「メディア」に置き換えれば、すでにいまの日本でも起きていることではないだろうか。

 「独裁者の学校」は1956年に刊行された。ケストナーの「まえがき」によれば、構想は20年前に生まれたという。20年前といえばナチスの全盛期だ。ケストナーナチスの弾圧を受けながら(1933年にナチスが起こした焚書事件では作品を焼かれた)「独裁者の学校」の構想を練った。その豪胆さに驚く。

 だが「独裁者の学校」はシリアスな作品ではなく、コメディだ。凍りつくような場面もなくはないが、全体を通してコミカルだ。でもコミカルなやりとりの中に、上記のような独裁体制の本質をつくセリフがちりばめられている。

 もう一例をあげると、ある娼婦はいう。「裁判官は無実の人を有罪にするし、研究者は世界の没落にご執心。医者は依頼殺人に手を染める始末。なにが正しいかを、悪党が決めるようになってしまって、義を尊ぶ人は良心の呵責にさいなまれている。」(104頁)と。「なにが正しいかを、悪党が決める」とは独裁体制の本質だろう。コメディなので笑って読み飛ばすが(舞台なら、笑って聞き流すだろうが)、後で考えるとゾッとする。

秋山和慶/東響

 「秋山和慶指揮者生活60周年記念」と銘打った秋山和慶指揮東響の定期演奏会。60周年とはすごいことだ。生まれたての赤ちゃんが還暦を迎えるまで、秋山和慶は指揮者生活を続けてきたわけだ。わたしのような勤め人の生活を送った者には考えられない長さだ。一種の職人のような仕事の仕方かもしれない。いまの秋山和慶には仕事一筋に打ちこんだ職人が到達する崇高な輝きがある。

 1曲目はベルクのヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」。ヴァイオリン独奏は竹澤恭子秋山和慶は東響の音楽監督・常任指揮者時代にシェーンベルクの「グレの歌」や「モーゼとアロン」などを演奏した。60周年記念演奏会にベルクを取り上げるのは自然なことかもしれない。

 竹澤恭子の艶のある音色と密度の濃い表現もすばらしいが、オーケストラの細かく丁寧なアンサンブルもすばらしかった。竹澤恭子のヴァイオリンがオーケストラのアンサンブルに組み込まれるような演奏だった。その混然一体となった音響がこの曲にふさわしい。第2部冒頭の激しい音楽も音が混濁せず、かつ過度に激情的にならずに、終始一貫した音楽の流れがあった。

 竹澤恭子のアンコールがあった。バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番から第3楽章「アンダンテ」。人の歩みのような伴奏音型にのって無私の境地の旋律が続く。平常心の音楽だが、じつは平常心こそもっとも尊いと思わせる。秋山和慶の人生を象徴するようだった。

 2曲目はブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」(1878/80年稿ノヴァーク版)。最近の秋山和慶らしく、大きく構えて、音楽の形を崩さず、かつ随所に豊かなニュアンスが施された演奏だ。わたしはとくに第2楽章に惹かれた。ヴィオラが、チェロが、そして第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンが浮き沈みする。その澄んだ音色と、どこか孤独な表情が胸にしみる。いまの秋山和慶の心象風景かもしれない。

 第3楽章スケルツォの主部の中間部分では、少しテンポを落とした。わたしは第2楽章に通じる情感を感じた。第4楽章は終始ペースを崩さずに、一歩一歩進んだ。その強靭な精神力と体力がすばらしい。最後には記念碑的な大演奏が達成された感があった。

 終演後、オーケストラから花束が贈呈された。真っ赤なバラだ。60本あったそうだ。60年前に東響の解散という事態に直面して、東響から離れずに、東響を支え続けた秋山和慶だ。その生き方がむくわれた瞬間ではなかったろうか。
(2024.9.21.サントリーホール

ルイージ/N響

 ファビオ・ルイージ指揮N響定期演奏会Aプロ。曲目はブルックナー交響曲第8番(初稿/1887年)。第8番の初稿は、先日、高関健指揮東京シティ・フィルで聴いたばかりだ。そのときはホークショー版と明記されていた。今回はとくに記載がない。ノヴァーク版なのか、それともルイージが多少手を入れているのか。

 その詮索はともかく、ルイージ指揮N響の演奏は見事だった。わたしは初めて第8番の初稿の自然な流れを聴いた思いがした。ブルックナーの頭の中で鳴っていたこの曲の姿を初めて聴くことができた。ブルックナーは作曲当時、第7番の初演が成功して、すでに大家になっていた。脂の乗りきったブルックナーの筆から流れ出た初稿だ。そこにはブルックナー独自の論理があった。それが今回の演奏で音になった。

 話が脇道にそれるが、わたしが第8番の初稿を聴くのは今回で3度目だ。最初はインバル指揮都響、2度目が高関健指揮東京シティ・フィルだった。それらの演奏は第2稿との差異を強調したり(インバル)、初稿の音の動きを検証したりする(高関健)演奏だった。だが今回のルイージ指揮N響の演奏は、初稿に全幅の信頼をおき、その音の世界を表現しようとするものだった。

 具体的な箇所をいえば、第2稿とは大きく異なる第2楽章のトリオが、今回はクリアな輪郭をもって聴こえた。第2稿のトリオはたしかにすばらしいが、初稿のトリオもそれなりの音の流れがあるのだと納得した。また第3楽章の末尾で「転調の末に高らかなハ長調(引用者注:第2稿では変ホ長調)の頂点に辿り着いた」(高松佑介氏のプログラムノート)ときの金管楽器のハーモニーが、今回ほど輝かしく聴こえたことはない。

 今更いうまでもないが、初稿の第3楽章と第4楽章は、第2稿と比べても長大だ(第2稿でさえ一般的には長大と感じる人がいるわけだが、それよりも長大だ)。だがその長大さが必要だったのだと今回の演奏で実感した。ブルックナーにはブルックナーの論理があり、それがある結論に至るには長大な展開が必要だったのだと。第8番にかぎらず第2稿・第3稿のとくに第4楽章の物足りなさは(その顕著な例は第3番だ)、ブルックナーの論理を追っていないからだ。

 初稿では木管楽器は第3楽章までは2管編成だが、第4楽章は3管編成となる、一方、第2稿では(弟子たちの進言により)全楽章が3管編成で書かれている――と説明されるが、高関健指揮東京シティ・フィルのときは、第1楽章から3番奏者も吹いていた。今回はたしかに3番奏者の出番は第4楽章だけだった。その効果はたしかにあった。また高関健のときはハープが3台だったが、今回は2台だった。
(2024.9.15.NHKホール)

DIC川村記念美術館


 千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館(写真↑はWikipediaより)が今後のあり方を検討中だ。選択肢は二つある。(1)規模を縮小して東京に移転する、または(2)閉館する。年内に結論を出す。その後の対応のため、来年1月に休館する。

 そのニュースの衝撃は大きかった。千葉県知事と佐倉市長が存続を求める発言をした。ネット署名も立ち上がった。わたしもショックだった。理由のひとつは、8月末の発表から来年1月の休館までに5か月しかなく、あまりにも短兵急だったからだが、より本質的には、同美術館が類例のない個性派美術館だからだ。

 同美術館はレンブラント、モネ、ピカソなどの作品を所蔵するが、その他に第二次世界大戦後のアメリカに起きた抽象表現主義の作品を多く所蔵する。とくにマーク・ロスコの大作「シーグラム壁画」7点が目玉だ。「シーグラム壁画」7点を展示する部屋はロスコ・ルームと呼ばれ、ロスコ・ファンの聖地となっている。

 規模の縮小または閉館となると、それらの作品がどうなるかが気がかりだ。同美術館を経営するDIC株式会社の声明文によると、同美術館は754点の作品を所蔵し、そのうちの384点はDICの所有だそうだ。声明文にはDICが所有する作品の一部が載っている。そこには「シーグラム壁画」7点はふくまれていないが‥。

 作品の一部または全部は売却されるのだろうか。それが美術品の宿命だといってしまえばそれまでだが、それとは別に、企業経営とメセナの問題は残る。企業経営が好調のうちは良いが、不調になったらメセナどころではないと。それはそうだが、そこで思考停止せずに、やれることを必死にやったのが先人たちの歴史だ。もちろんDICの担当者もいま懸命な努力を続けているだろう。

 私事になるが、友人の親族が長野県の清里に個人美術館を設立した。ドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイスの作品を収集・展示する美術館だった。だが、経営が行き詰まった。結果的に同美術館は閉館して、作品は売却された。友人は多くを語らないが、閉館にいたる過程での苦労は並大抵ではなかったようだ。

 友人の親族の美術館は個人経営の美術館だったが、個人経営であろうと企業経営であろうと、美術館の維持は大変だ。メセナの問題を広げれば、問題は美術にかぎらず、音楽でも同じだ。かつては東京交響楽団も日本フィルハーモニー交響楽団もスポンサー企業からの援助を打ち切られ、解散の憂き目にあった。両楽団は楽員が自主運営に乗り出して、見事に再建を果たした。だがそれは歴史に一頁を残すほどの成功例だ。消えていった音楽フェスティバルは多い。今後も何が起きるか。

カーチュン・ウォン/日本フィル

 カーチュン・ウォン指揮日本フィルの定期演奏会。曲目はブルックナー交響曲第9番。最近はさまざまな作曲家・音楽学者による第4楽章補筆完成版で演奏する場合もあるが、この日はブルックナーが完成した第3楽章までで終えるやり方。どちらが良いかは意見が分かれるだろう。わたしは第4楽章の補筆完成版はラトル指揮ベルリン・フィルのCDしか聴いたことがないが、少なくともそのCDにはブルックナーとは異質なものを感じた。マーラー交響曲第10番の各種の補筆完成版とはちがい、ブルックナーのこの曲の場合はまだその異質性を楽しむには至らない。

 さて、オーケストラが登場すると、まずコントラバスがステージの正面奥に横一列に配置されることに驚く。人数は10人だ。弦楽器の編成は16型なので、コントラバスが通常より2人多い。その増強されたコントラバスがステージ正面奥から鳴るわけだ。視覚的な効果をふくめて(コントラバスがどう動いているか目で確認できる)期待が高まる。

 またコンサートマスターに客演のロベルト・ルイジが入る。ルイジはカーチュン・ウォンが今年9月から首席指揮者兼アーティスティック・アドバイザーに就任したイギリスのハレ管弦楽団コンサートマスターだ。コンサートマスターに客演を迎えることがオーケストラにどう影響するか。それも聴きものだ。

 カーチュン・ウォンが登場する。演奏が始まる。冒頭の音が重々しく鳴る。闇の底から鳴るようだ。音楽に動きが出る。それが目くるめくように勢いを増して燦然と輝く第1主題が出る。やがて音楽が静まり、ゆったりした第2主題が出る。その表情には強い緊張感が漂う。漫然とは歌っていない――と、少し細かく書いたが、それはこの演奏がルーティンワークではなく、気持ちを新たに細部までこだわる演奏だったからだ。テンポは遅めだ。腰を据えて音楽を造形する。

 第2楽章はリズムがデジタル的に刻まれた。そのリズムはカーチュン・ウォンが指揮棒を垂直方向に上に突き刺し、また下に突き刺す動きによって強調される。第2楽章のリズムの特異性が際立つ。第3楽章はじっくり歌い込む。先を急がずに、壮麗な響きをつくりながら一歩一歩進む。第3楽章が終わると会場は長い静寂に包まれた。それは完成されなかった第4楽章を偲ぶようだった。

 日本フィルは終始一貫して照度が高く、緊張感のある音を鳴らした。別のオーケストラになったように音が変わった。カーチュン・ウォンの本気度の賜物だろう。同時に、客演コンサートマスターの効果もあったかもしれない。日本フィルはカーチュン・ウォンのもとでこのような経験を重ねれば、一皮むける契機になるかもしれない。
(2024.9.7.サントリーホール