N響が創立100周年記念にベートーヴェンの交響曲全曲演奏をスタートさせた。昨日はその第一弾でファビオ・ルイージの指揮による交響曲第1番と第3番「英雄」。
第1番が始まると、引き締まった音が鳴った。明るい音だ。厳しさよりも、柔らかく、くつろいだ気分を感じさせる。リズムが重くならない。テンポが正確で、伸びそうなところでもけっして伸びない。そのテンポ感がすばらしい。結果、精妙に組み立てられた音の立体が現れ、透明感がある。
最初から最後まで感心したが、とくに一個所あげると、第3楽章メヌエットのトリオの部分で、木管楽器が4分の3拍子の2分音符+4分音符のリズムを繰り返す、そのリズムが羽毛のように軽かったのが印象的だ。
第3番「英雄」はどうなるかと思ったが、これは通常運転に戻ったようだ。第1番のような古典派の様式感を感じさせる演奏ではなく、N響がいつもやっている演奏になった。それはそれで立派な部分もあったが(個別の部分をあげることは省くが)、基本的なコンセプトはN響のいつもの演奏と変わらなかった。
演奏というのは不思議なもので、わたしたちはアマチュアの演奏でも(たとえそれがアマチュアのオーケストラであっても)感動するときがある。また、プロのオーケストラであっても、なにも感じないときもある。なぜそのような現象が起きるのだろう。
私見では、アマチュアであれプロであれ、自己の限界に挑戦するとき、または限界を突き破るときに、聴衆は感動するのではないだろうか。今回のケースで言えば、第1番がN響のいつもの演奏スタイルとはちがうので、その分緊張感があったと思う。
ルイージはたいへん高度な能力の持ち主だと思うが、N響との関係では、N響はその能力を認めているだろうに、なぜか自分の土俵でルイージと接しているような気がする。そのため、わずかな例外を除いて、ルイージとの演奏が枠を超えない結果になるのではないだろうか。もちろんその枠の中では充実した内容があるのだが。
さて、今回の演奏に戻るが、わたしが感じたもうひとつのことは、第1番と第3番「英雄」とのオーケストラの鳴り方のちがいだ。端的に言うと、第1番は細い音で、第3番「英雄」は太い音で鳴った。弦楽器は第1番が14型、第3番「英雄」が16型だったが、それだけの要因ではなく(ちなみに管楽器は第3番「英雄」がホルン1本多いだけだ)、ベートーヴェンの書き方がちがうわけで、その表れを感じた。
(2026.9.26.NHKホール)